2012年4月上旬

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2012年4月1日(日) : memo筑豊南部 [鉄]

大分駅前のビジネスホテル。7:15頃に起きる。まだ疲れは抜け切っていなく、眠い…。それでも予定があるので出発準備をし、7:45頃にロビーに下りて朝食。そしてチェックアウト。
大分駅は昨夜も書いた通り、北口側の通路が切り替わっており、旧ホームを3ホーム分くらい跨いで渡る仮設通路を通って、高架下の新駅舎へ。まずは〔ゆふ〕の割引きっぷと、今日から使うぶんの「九州満喫きっぷ」を発券。満喫きっぷは本日分から様式が切り替わったためか一回ではうまく発券できず、タリフを引っ張り出しての発券。

本日最初は、大分8:19発の〔ゆふ4号〕。指定を取ったはずの号車札が「自由席」となっていて一瞬不安になったが、どうやら半室指定・半室自由の車両らしく、逆側のドアには「指定席」の札が。キハ186。乗り込んで真っ先に「シートピッチ広っ!」って感じたが、調べてみたら元グリーン車(キロハ186)だそうで納得。シートもほぼそのまま流用されていて、フットレストもあり。昨夜適当に「窓側」とだけ指定して取った(既に残席僅少でシートマップ指定は不可だった)座席だが、これは当たり席だ。ちょうどキャンセルでもあったのだろうか。ただ難を言えば、外国人観光客の会話がうるさかった…。
その外国人客は湯布院で下車したが、湯布院からは別途大量の乗車があってほぼ満席に。そして、前々回(宮崎制覇)ほどではないが徐々に疲れが出てきて、日田あたりから断続的に眠ってしまう。ディーゼルエンジンの音は、いい子守歌だ(;_;)。ほぼ24時間ぶりに到着した久留米には10:46着で、ここで〔ゆふ〕を降りる。
しばらくホームをうろうろしてたら〔ゆふいんの森〕が入線してきたので撮影したり、改札外の売店で昼食を購入したり。その後は11:14発の湯布院行普通列車で、九大本線を途中まで引き返す。キハ200形2連。いまいち美しくない行程だが、他に抜け辛いT字路線網を乗り潰そうとすると、どうしても復乗となってしまうのは致し方なし。先ほどは眠ってしまった区間だが、今度は寝ずに乗車。
日田彦山線の分岐駅、夜明には11:59着。備後落合ほどではないが、周囲を山に囲まれた分岐駅。線路は駅よりも日田側で分岐していて、久大本線2線(交換可)と日田彦山線1線(交換不可)が別々の扱い。なので、日田彦山線と久留米方面とは直通不可、という構造。日田彦山線の列車は12:16発で、キハ147×2連。典型的な山越えローカル線の雰囲気を味わっていたら、添田の1駅手前で大量乗車があって車内の雰囲気は激変。どうやらJR九州主催のウォーキング大会らしく、スタンプカードなどぶら下げてる客が大半。こうなると、田川後藤寺からの乗り換え列車で良い席が取れるかどうかどころか、座れるかどうかが心配になってくる。しかもボックス窓側に収まっている身としては、降車時に確実に出遅れてしまう。
田川後藤寺では3分の接続で、13:18発の小倉行。車両は同じくキハ147×2連。予想通り出遅れたので窓側はほぼ埋まり、仕方なくボックスの順方向通路側。っていうか車種・両数が違うとかなら系統分断も納得できるが、両数も車種も一緒なら直通して欲しいよな…と思ったが、ウォーキング対応で臨時に運用を差し替えていたのかも、という考えに思い至ってややクールダウン。まぁとにかく、この混雑はちょっと誤算。終点小倉には14:16着。

小倉からは北九州モノレールに乗車。モノレールの小倉駅は、JR小倉駅コンコースの大屋根の下、上の方にすっぽり収まっている感じで、なんか遊園地の乗り物みたいで面白い構造。下から見上げた列車はちょうと出発して行ってしまい、次は10分後の14:30発。車両は2扉4連のロングシート。展望席と呼べるような席は無かったので、普通に最前部のドア脇に着席。
出発して隣の駅まではすぐだが、隣の駅を出発後にふと違和感に気付く。その違和感の正体は、右側通行だということ。どうなってるんだろうと思ったら、すぐに渡り線があって左側通行になる。どうやら1駅間ほど、単線並列となっているようだ。調べてみるとこの区間は開業後の延伸で、その際に元々あった渡り線を移動しなかったかららしい。確かに跨座式モノレールの渡り線(分岐)は大がかりになるので、移設コストも高くつくのだろう。風景は徐々に住宅地という風になり、終点の企救丘には14:49着。駅の手前で一瞬だけ単線になる感じに分岐が付いていたが、確かに運転本数がそう多くないなら、両渡りよりは安く作れそうだ。
ここから日田彦山線の志井公園まで歩く。駅名は全く違うが実際には徒歩3分くらいでたどり着き、14:56発の小倉行。キハ140+キハ147の2連。先程のちょうど1時間後の列車だが、混雑もなく平穏。今度は小倉までは行かず、日豊本線と合流する城野で下車。駅近くのコンビニまで行って軽食を購入後、15:20発の普通列車に乗り、行橋へ。

行橋からは平成筑豊鉄道に突入。高架2面4線の日豊本線ホームの隅っこに、切り欠きで平筑豊鉄道のホーム。15:50発の直方行、単行。基本はロングシートで、申し訳程度に2区画だけボックスがあるという車両だったが、ボックスはともに優先席という罠。仕方なくロング部の端っこ(ボックスの背もたれ側)の偽壁席。最初はそこそこ乗車があったものの徐々に減り、途中の峠越え区間では乗客は3人くらいにまで減少。この辺りで進行方向が大きく変わるので、座席も左側から右側へ、つまり西陽の直撃しない側に移動。
途中、田川伊田の手前で1駅弱ほどは日田彦山線と単線線路を共用しているが、その先の直方までの区間は、うって変わって複線。各駅とも構内は広く、ホームも優に8連は止まれそうだったりと、全盛期の賑わいが偲ばれる。でもそこを走るのは、1時間に1本の気動車単行だけ。単線にしたほうが維持費が安そうな気もする…。直方の直前からは筑豊本線の複線も並び、複々線状態。配線だけ見ると、大都会。:-)
直方は、JRの駅は綺麗な橋上駅舎となっていたが、平成筑豊鉄道のほうは極めてな物置小屋状態。

行橋1550-1719直方
3/17改正で大減便らしき(土休日は半減に近い削減),
直方1740-1814田川後藤寺1816-1837新飯塚1838-1923博多1929-1945藤崎
金田から大量乗車,高校生の弓道大会?,綱渡り接続が続くので心配,やや早着,
前方で待ち構えていたので問題なし,キハ31単,1人転クロ,新飯塚でも綱渡り,
ホーム向かい(想定済)でやや遅,快速817x2x2,

2030頃から2件受け取り,早く寝ようと思っていたが0000寝


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Tosy <tosy@wig.nu>